父の日

cockateil2006-06-17


私は父にしかられた記憶がない。何をやってもだ。ある人はそれを「野放し」、とよぶかもしれない。しかも私はこれでも女の子だったはずだ。


父は強い男だった。体力的にも、外面も、意思もはっきりしていて、母から、やくざが父を見て逃げていった、という話を何度か聞いた覚えがある。そんな父に背くものは当時誰もいなかった。必然的に環境がそうなっていったのか、父がそういう環境に自分を置いていたのか、そんなことはどっちだっていい。


私は物覚えをついた頃から父の後をつきまわっていた。父と結婚した母にやきもちを焼くほど、父親が大好きな女の子だった。父は私のことを「姫」と呼んで可愛がってくれた。


そんな自由な生活の中、私は男の子が顔負けするくらい腕白な女の子に成長していった。やりたいことは全部やった。そう言い切れるくらい、幼年期、青年期と、大抵の子供が興味を持つこと全てに私は顔を突っ込み好き放題やった。選択権は常に自分にあった。自分の人生は自分自身で選ぶ、そういう生き方を幼い頃から当然だと信じて生きていた。そして、自分が信じたものをきっちり説明すれば、父は必ず私に賛同してくれる、という揺るがない自信があった。


父は今病気だ。病との生活という重い現実を乗り越え、毎日前向きに暮らそうと努力している。強い男だった父の自尊心は当時病と共に砕け散ったに違いない。でも私の父はそこで崩れなかった。こつこつと真剣に繊細に生きようとしている姿、生きるということの本質をみようとしている姿、過去を振り返り思いなおしている姿、父は今私にもっとも強い姿を見せてくれている。現実とむかい合い、現実をそのまま受けとめる、これほど難しいことはない。まだまだ父から教わることは多い。